羽田へ上陸!ビートルズ台風

日本にもビートルズ台風が上陸しました。

ビートルズは日本武道館公演のため、
1966年6月29日から7月3日までの5日間、日本に滞在しています。

日本政府は、この4人の若者に対して
国賓と同等いやそれ以上の厳戒体制を敷きました。

ビートルズ台風

羽田に到着した6月29日には 空港付近で一斉検問を実施、
羽田への立ち入りは禁止され、高速道路は閉鎖されるという
厳戒体制だったのです。
 
正当な理由のないものは、全く羽田空港に近づく事が
出来なかったのです。

到着したビートルズは 外国の政府要人ですら全く例がないという
空港の滑走路の誘導路から さらに滑走路を横切って、
当時の整備地区を走り抜けて 高速道路へと突っ走っていきました。

警視庁は羽田付近が混乱した時は ヘリコプターによる脱出作戦や

滑走路にまでファンが飛び込んでしまって着陸できない事態まで
想定し 横田基地への緊急着陸の対策までたてていたとの事です。

宿舎ヒルトン・ホテルは、常時一個中隊の機動隊員と150余名の
ガードマンが待機・警備するというものものしさ。

4人は、ヒルトン・ホテルからは当然パトカーの先導で武道館入り。

武道館のコンサートでは、一万人の入場者に対して
2500人の警官が会場に配置されていました。

後に明らかにされたところでは、
ビートルズ滞日中の警備・厳戒体制のために動員された警官は
延べ8370名、使われた経費は都合9000万円。

音楽アーティストに対する警備としてはまず前代未聞のことでしょう。

ビートルズ来日時の『超特別な過剰警備・厳戒体制』が、
日本国内で問題になった事は 
当時の新聞を引っ張り出してごらん頂くとよいと思います。




当のビートルズの4人はどうだったのか?

それは当然 監禁状態にあった事はいうまでもありません。

ビートルズ台風

ポールが タクシーをつかまえて脱出を試みた 「脱走事件 ! 」 は 
皇居前まで走ったところで あっさりパトカーに捕まってしまって 
おおよそ 20分でめでたく (?) 解決。

リンゴ      『ホテルと武道館の間を往復していただけ。』

・・・・・・・・・・・・・・・・

そしてこれは何も日本にだけ限った事ではないのです。

あの「シェア・スタジアム」の記念すべきコンサートの時には

ヘリコプターでマンハッタンからヘリポートまで運ばれ、そこからスタジアムまでは装甲トラックだったのです。





「ビートルズはキリストより有名だ」発言 ~ ビートルズ☆あれこれ!?

[check]「ビートルズはキリストより有名だ」発言

1966年7月、ドイツ、日本、フィリピン
公演旅行を終えてロンドンに戻った時 
事件は起こりました。

ジョンが 
「ビートルズは今やイエス・キリスト
より有名だ!!」という扇情的な言葉を
口にしたのです。

 
アメリカの若者向けの雑誌「デイト・
ブック」のインタビーューでのことでした。

このことは すぐさま、アッという間に
恐ろしい大事件に発展しました。

 
ラバマ州バーミンガムの放送局が
ビートルズのレコードをかけるのを
禁じる措置をとったのを皮切りに、
ビートルズのレコードを燃やして
しまおうと呼びかけ、
キリスト教関係者をはじめ、
あの白人秘密結社「K.K.K.団」までが
ビートルズ排斥運動に参加してきたのです。

驚きふるえあがったマネージャーの
エプスタインは、ジョンと共に
謝罪の緊急記者会見を行うはめに
なったという。

[check]ビートルズとローリング・ストーンズ

ビートルズとローリング・ストーンズは 
もっぱら仲が悪いと
言われ続けていましたが、
そんな事は一切なかったというのが 
本当のところらしいですよ。

1967年には一緒にレコードを作り、
共同でスタジオを建設する計画も 
あったらしいのです。
 
ジョンとポールは
ローリング・ストーンズのために
「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」  
という曲まで書いています。

ちなみに「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」は
日本公演でリンゴが歌ったものです。

70年代、
グループ解散後も交流は活発だった。

・・・らしい。


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ビートルズ台風


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