ビートルズの叙勲騒動


勲章とビートルズ

1965年6月、"ビートルズ叙勲 !!" のニュースが
世界中を駆け巡りました。

ビートルズ叙勲

大英帝国彰勲章 Most Excllent Order of The British Empire
(略してM.B.E.)がビートルズに贈られることが発表されたのです。

国家に対して、多大な経済的貢献があったというのが叙勲の理由。

これを聞いた、戦争の武勲で勲章をもらった元軍人たちが、
つぎつぎと勲章を返上するという騒動まで
引き起こしてしまっています。

「リバプール出身のオカッパ頭のおかしな4人組」が叙勲などとは 
M.B.E.の品格が疑われてしまう ということらしい。

ジョン  「僕らの叙勲に、不満をもらした人たちは、
戦争で人を殺して それで勲章をもらったんだろう !!

でも、僕らの叙勲は、多くの人を楽しませたことの結果だから、
僕たちのほうがもらう資格はあると思う。」

実際にバッキンガム宮殿でエリザベス女王から
勲章を受け取ったのは1965年10月26日のことでした。


シェア・スタジアムが爆発した日 ???

1963年5月 最初のイギリス公演旅行に始まり、
1966年8月のサンフランシスコでの最後のコンサートまで
ビートルズは17回の公演旅行を行い、合計で260回強ステージに立っています。

ビートルズ☆こぼれ話

その中でも 永遠の語り草は 1965年8月15日、3度目のアメリカ公演の際の、
ニューヨークの"シェア・スタジアム"で行われた幕開けコンサートでしょう。

音楽史上初めての野球場での野外コンサート。
観客数は56000人。もちろん、観客動員新記録。
5ドル65セントの入場券は100ドルのプレミアつき。

「ところどころにビートルズの音楽が聞こえてくる絶叫と悲鳴の連続を聞くために、
 観客は30万ドル(約1億8百万円)以上支払った。」

       ・・・・・コンサートが終わった時の、プロモーター氏の超有名な(?!)超名言(?!)。

この時の様子は
1976年に公開されたコンサートのドキュメンタリー・フィルムで
日本でも見ることが出来ました。


まさかの「ポール・マッカートニー死亡説」

「ポール・マッカートニー死亡説」が全世界に流れたことがありました。

このショッキングな噂は1969年9月
「ポールは67年1月に死んでいる。現在いるポールはポールと好く似た男でる」
という記事が アメリカのある大学の新聞に載ったのがきっかけ。

ポール死亡説を裏付けるさまざまな分析が登場し 多くの話題を提供しました。

その1 「アビィ・ロード」ジャケット からの 裏づけ説

アビィ・ロードを横断する4人は葬式の行列であり、
先頭のジョンはキリスト、リンゴは葬儀屋、ポールは死体、
ジョージは墓堀り人夫を表現している。

白いフォルクスワーゲンのナンバー・プレートの番号が「28IF」。
「ポールが生きていれば28才になっているはず」。

ポールが右手で煙草を持っているのは不自然でおかしい。
彼は左ききのはず。

その2 「マジカル・ミステリー・ツアー」のジャケット からの 裏づけ説

ポールが着ているコスチュームが黒。
全員が白いタキシードで出てくるシーンで
ポールの胸のカーネーションだけが黒。

これは死んだことをを示している。

その3 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の
ジャケット からの 裏づけ説

ジャケットの右側下の方に、ポールと一緒に埋葬された左利き用の
ベース・ギターがある。

頭上にかざした手は東洋では死を表すサイン。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・???

ビートルズとプレスリー

1965年8月27日スーパースター同士の共演が実現しました。

ビートルズ3度目のアメリカ公演の時、
プレスリーのマネージャー、「トム・パーカー」と「ブライアン・エプスタイン」の話し合いによって
実現したもので 場所はプレスリーのビバリーヒルズの大邸宅。

歌った曲は シラ・ブラックのヒット曲「ユー・アー・マイ・ワールド」。

プレスリーがポールから借りたベース・ギターを弾き
ジョンはリズム・ギター、残る全員がコーラスをつけたと言われています。


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