そして ハンブルグへ

彼らの足跡をふりかえってみると、
よくもまぁここまでと思えるくらい 長く辛い下積み活動の末 
スターダムを上り詰めていったということがよくわかります。

その下積み時代の大半を過ごしたのが、
ご存知ドイツのハンブルグ。

1960年8月、 シルバー・ビートルズ(注1) は
「アラン・ウィリアムズ(ダンス・ホール&酒場の経営者)」の
口利きで初めてハンブルグ巡業に出発。

(注1) ビートルズの母体となった「クォリーメン」という名前は1959年頃から使われなくなっていきました。「ジョニー&ムーンドッグス」等など思いつくままの名前をつけていたといいます。そして、同年末には 「シルヴァー・ビートルズ」と名乗っていました。


ビートルズ~ハンブルグ

その当時のメンバーは、
「ジョン・レノン」「ポール・マッカートニー」「ジョージ・ハリスン」の
三人と「スチュアート・サトクリフ」だったのです。

1960年3月、
4人は前述のダンス・ホール兼酒場に出入りしていた縁で、
プロモーター「ラリー・バーンズ」からバック・バンドの仕事を
回してもらいます。

これが いわゆるプロ入りのきっかけであり
最初の仕事となりました。

一人あたり週給 約1万5千円の契約だったといいます。

2年半後の 1962年12月のレコード・デビュー直後まで
全部で5回ハンブルグを巡業しており 
かなり長い期間をハンブルグで過ごしています。

ジョンとボールは学校をやめ ジョージは仕事をやめて
ハンブルグ巡業に参加したといいますから 
彼らにとってハンブルグは
永遠に忘れることの出来ない地名のひとつに違いありません。

最初のレコーディングも 1961年、「トニー・シェリダン」(注2)の
バック・バンドとしてハンブルグで実現したものです。

ビートルズも最初は 
バック・バンドからのスタートだったのですね。

そして そして 「ザ・ビートルズ」という名前を名乗りだしたのも
最初のハンブルグ巡業からなのです。

ハンブルグは リバプールと同じくらい ビートルズにとって
忘れられない ゆかりの場所なのですね。

(注2)トニー・シェリダン
イングランド出身のロックンロール音楽のシンガーソングライターでギタリスト。1960年代はじめのドイツで、無名時代のビートルズをバックに据えて録音したシングル盤を「トニー・シェリダンとザ・ビート・ブラザース」名義で出したことで知られており、レコードのレーベル上でビートルズと共同でのクレジットを残した2人のうちの1人である。



アップルってあったっけ!? ~ ビートルズ☆あれこれ!? 



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アップルはビートルズを語るうえでは 

ビートルズのレコード会社アップルのロゴ
ビートルズのレコード会社
「アップル」のロゴ

これも欠くことの出来ないもののひとつですね。

簡単にいえば、ビートルズのレコード会社です。

自分たちで好きなものを製作し、中間搾取を廃して提供するため、
自分たちの会社を作るとして設立された、
アップル計画の中のレコード部門ですね。

アップル計画は、ビートルズの人気と名声を活用すべく 
1968年4月華々しくスタートしたのです。
 

レコード、映画、音楽出版 ファッションなどを手掛け
「アップルの歌姫」 メリー・ポプキン というスターも輩出しましたが 
1976年2月、約8年の歴史を残し ジ・エンドとなっています。


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ハンブルグ~ビートルズ




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