ビートルズとヒット・チャート

ビートルズとヒット・チャート

1964年4月4日付けの「キャッシュ・ボックス」のヒット・チャートでは
ビートルズがベスト・ファイブを独占しています。

 

キャッシュボックス(Cash Box)
音楽チャートを掲載する事で知られたアメリカの雑誌。1942年に刊行され、1996年に廃刊となった。2006年にオンラインマガジンとして復活している。


1位 キャント・バイ・ミー・ラブ
2位 ツイスト・アンド・シャウト
3位 シー・ラブズ・ユー
4位 抱きしめたい
5位 プリーズ・プリーズ・ミー

 

 

青空そびえたつ近代的な高層ビル

これだけでもケタ外れなのにさらに見ると 他にも
7曲がヒット・チャートのベスト100の中にランキングされているのです。

 

 

31位 アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼァ
41位 フロム・ミー・トゥ・ユー 
46位 ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノゥ・ア・シークレット 
58位 オール・マイ・ラヴィング 
65位 ユー・キャント・ドゥ・ザット 
68位 ロール・オーヴァー・ベートーヴェン 
79位 サンキュー・ガール 

 

さらに翌週には

 

「ラヴ・ミー・ドゥー」
「ゼアズ・ア・プレイス」

 

の2曲がトップ100に入り、ぜんぶで14曲のビートルズ・ナンバーが
ヒット・チャートにランクされるという不滅の大記録を樹立しています。

 

1964年は アメリカを征服した年でもあるのです。
この年のヒット・チャートの53週でビートルズがトップを占めたのは何と19週。
これは前人未踏の大記録で、永遠に破られることはないでしょうが、

 

2月に「抱きしめたい」がトップの座につき、その座を8週間独占。
「シー・ラブズ・ユー」 が2週間
「ツイスト・アンド・シャウト」 が1週間
そして 「キャント・バイ・ミー・ラブ」 が5週間

 

連続16週間トップの座を独占してしまったのです。

 

これはもはや異常事態というしかなく当時のビートルズ人気のすごさをを端的に物語っています。

 

登場するやいなやレコード・セールス、コンサートの観客動員数等など各分野で記録を塗りかえていったビートルズはヒット・チャートの記録をもいとも簡単に塗りかえていったのです。

 

ビートルズは本国イギリスでも、発売するシングルでことごとくヒット・チャートのトップの座を占めるという、凄まじいばかりの記録も樹立しています。

 

チューリップ畑

63年1月に発売された「プリーズ・プリーズ・ミー」から
67年2月に発売された14枚目のシングル「ペニー・レイン」が
惜しくも2位止まりで終わるまで、全てトップなのです。

 

合計22枚のシングルのうち、ベストテン入りしなかったのは
デビュー・シングルの「ラブ・ミー・ドゥ」だけ。

 

発売と同時に 1位にランクというのは当たり前で、丸4年間トップの座を守り続けたんだから凄いですね。

 

 

 

ビートルズはイギリスを代表する音楽誌「メロディ・メーカー」の人気投票でも
1964年から1969年まで 堂々トップにいすわり続けています。

金髪の美少女

 

イギリスのグループだけを対象にしたイギリス部門では
1963年から何と 7年間もトップを独占しています。

 

1970年、トップにたったレッド・ツェッペリンは翌71年には2位に転落し、その後は毎年トップが入れ替わっているのですから、ビートルズの記録がいかにスバ抜けていたかがわかりますね。

 

メロディ・メーカー(Melody Maker)イギリスの週刊音楽雑誌。
1926年新聞紙形態で創刊された最も歴史あるポピュラー音楽雑誌。
2000年休刊。


 

くるくる変わる人気のバロメーターともいえる人気投票のトップを7年間も独占してしまう・・・。
ビートルズならではと言わざるを得ませんね。

 

 

「ヘイ・ジュード」は「ヘイ・ジュール」だった! 〜 ビートルズ☆あれこれ!?

 

「ヘイ・ジュード」は「ヘイ・ジュール」だった?

 

「ヘイ・ジュード」シングルレコードのジャケット

「ヘイ・ジュード」は 1968年9月からアメリカで9週連続でチャートのトップを独占する大ヒットとなった曲ですね。

 

この曲は最初は「ヘイ・ジュール」というタイトルだったのです。

 

ジョン・レノンと妻・シンシァの別居で淋しそうにしていたジョンの愛息ジュリアン(ジュール)にポールが捧げた曲なのです。

 

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